いのうえ かずひこ
井上 和彦
プロフィール
本名井上 和彦[1][2][注 1]
愛称和彦さん[4]
性別男性
出生地 日本・神奈川県横浜市南区浦舟町[3]
出身地 日本・神奈川県横浜市西区久保町[5]
生年月日 (1954-03-26) 1954年3月26日(70歳)
血液型O型[6][7]
職業声優、ナレーター[6]、舞台俳優、音響監督
事務所B-Box[8]
配偶者なし(結婚歴あり)
公式サイト ⇒井上 和彦|B-Box
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重174[6][8] cm / 75 kg
声優活動
活動期間1973年[10] -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
デビュー作兵士(『マジンガーZ』)[10]
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井上 和彦(いのうえ かずひこ、1954年3月26日[11][12][13] - )は、日本の声優、ナレーター[6]、舞台俳優、音響監督。神奈川県横浜市南区浦舟町、西区久保町出身[3][5]。B-Box所属[8]。 神奈川県横浜市南区浦舟町の横浜医科大学付属病院(現:横浜市立大学附属市民総合医療センター)[注 2]で誕生[3]。出生時は3600gであり、祖母が「おお、随分黒いオチンチンだ。丈夫になるぞ」と言ったという[3]。その後、高校卒業まで西区久保町で育つ[3][5]。 横浜市立稲荷台小学校[14]、横浜市立岩井原中学校[14]を経て横浜市立横浜商業高等学校[13][15]を卒業。高校3年生位の頃、早朝ボウルがあり、ボウリング[注 3]を始める[3]。学校で決められた所に行くのは嫌であり、駅弁をもって何処かへ行くようであり、手作りの弁当でなければ食べた気しなく「じゃボウリング[注 3]場にしよう」ということで、当初は声優や役者の仕事に興味がなく、当時大ブームだったプロボウラーを目指して高校卒業後、ボウリング場に就職する[2][3][16][17]。しかし、思い描いた理想と現実のギャップに戸惑い、人と話すことが苦手になり半年で退職する[16][17]。井上は当時を振り返って「色んなことがあって人間不信に陥り、他人が乗っているエレベーターに一緒に乗ることさえ苦痛だった」と語っている[16]。その後、2か月ほど一人暮らしのアパートに引きこもって過ごすが、生きるために働かねばと発奮し、テレビ局の大道具係の仕事を始める。井上は「道具を扱うだけの仕事だろう」と高をくくって選んだと語っているが、実際にやってみたらハードで驚いたという。しかし、この仕事で心身ともに弱っていた自分が強くなれ、感謝していると語っている[16]。 そんな折、ボウリング場勤務時代の同僚が声優になりたいと言うので、当時銀座にあった養成所・テレビタレントセンター東京校の試験を一緒に受けることになる[16]。最初は声優志望ではなかった井上だが、人と話す訓練のつもりで試験を受けたら見事に合格したという。なお、井上を誘った同僚は試験に落ちた[17]。その養成所の講師には、後年井上の師匠となる永井一郎がおり、養成所に通っていた1年間のうち後半の半年間は永井の指導を受けた[17][18]。養成所に通っていたころは、喫茶店、立ち食い蕎麦屋、ビラ配り、ビルの清掃員など様々なアルバイトを掛け持ちしていた[16]。養成所の同期には郷里大輔、中谷ゆみ、川島千代子がいて、その中でも同期の郷里とは同じクラスだったことで仲が良く、アルバイトを探していた時に郷里から仕事を紹介してもらったこともあった[16]。
来歴
生い立ち